出鱈目は困ります。
読み物としては面白かったのでうるさいことは言いたくないのだが、
「養子を取ると姓が変わる」「姓は父系からのみ伝えられる」などという出鱈目は困る。
女系天皇反対のために敢えて言っているのなら理解しなくもないが。
(追記)
著者は養子の件について批判されたことを気にして
『歴史読本』平成二十年十月号誌上で反論している。
曰く、近衛信尋・上杉謙信・同鷹山の養子入りにも拘らず近衛家・上杉氏が藤姓であり続けたのは
律令の「異姓養子」の拡大解釈ないし逸脱である、と。
しかし戦国期・江戸期の事象に対してに律令を持ち出すことが適当だとは思われない。
このような無理なこじ付け(ないし悪足掻き)はやめて、律令制下においてはどうあれ、後代には
「父系以外でも、母方から(例えば近衛信尋・上杉鷹山)も、赤の他人(例えば上杉謙信)でも、姓は伝えられる」
と素直に解釈すべきではなかろうか。
さもなくば藤原光能の子息広元が、当初中原姓(継父方)、
次いで大江姓(母方)を称したことの説明が付かなくなる。
また「姓は父系からのみ伝えられる」例として足利(畠山)義純が挙げられているが、
義純は畠山重忠の未亡人との婚姻により重忠旧領を継承しただけであって重忠に養子入りしたわけではなく、例として全く的外れである。
王権…論ですから、カタいこと言うなって。
ハッキリ言ってタイトルと帯だけでもその内容は俯瞰できます。
それはさておき、本書はなかなか面白い論理構成ですよ。
キーワードは「治天の君」でしょうか?
いろいろとフレーズが出てきて本書の内容を曇らしてしまう原因になったのかも知れません。
元々皇族は馬なんか騎らなかったそうです。それが明治期になって西洋の様式を採り入れると共に、これまで事実上の支配者だった「将軍=王様」のスタイルを手に入れることによって名実ともに「支配者」として君臨できるようになった、とのことです。
これだけでも面白いじゃないですか。
前半の基礎知識のほうが役に立つかと
苗字と氏がどう違うのかを簡潔にまとめてある部分が重宝した。
また、天皇の必要条件が父親を辿ると一人の人物につながる人物ということも理解できた。宇多天皇やその子の醍醐天皇のように、一度臣籍に降りた皇族が即位できたのもこのロジックによる。
著者の言う日本国王は中華皇帝の臣下という意味ではないようだが、
源氏が準皇族的な氏で特殊だったとしても、源氏長者が日本国王だったというには弱いのではないか。
女系天皇を認めるべきでないことが確信できる本
源氏が中心の本ですが、源姓の特殊性から必然的に天皇について論じられることとなります。私称の「苗字」とは異なり「姓」は天皇から与えられるものであること、皇室には姓がなく姓の存在=臣下であること(賜姓臣籍降下)、姓は父系制的な血縁論理によって継承される名であり、姓を有する貴族が婿に入った場合苗字は妻の家名を名乗るが姓は決して変わらないこと、日本史上存在した8人の女性天皇が皇位に就いた後生涯独身を通したのは入り婿によって姓(=臣籍)が生じるのを恐れたためであることなどが冒頭で次々に明らかにされていきます。 その上で、源姓の特殊性、すなわち源姓は、「祖先すなわち源を天皇と同じうする」という意味であって、「たまたま臣籍に身を置く」准皇族に普遍的な姓であったこと、いったん源姓を得た後即位した宇多天皇の例をあげ、源氏は場合によってはいつでも親王に復することができる存在と認識されるようになったことが明らかとなります。私は昔、○○源氏など祖先たる天皇が異なる源氏が多数存在することにひっかかり、なんとなく源氏は「源」だから特殊なんだろうくらいに思っていたのですが、この本を読んでひっかかりが解消しました。 著者はこの後も特殊な姓である源氏を巡る様々な事実を明らかにしていきますが、私がもっとも興味をもったのは天皇を巡る以下をはじめとする著者の一連のコメントです。 「七世紀末に定められた「日本」という国号が、今日に至るまで一度も改められなかったということは、とりもなおさずその国王の氏姓が一度も改まらなかったということを意味している。」 「皇位というものは「家」の原理により、皇女が皇族男子を婿に取ることによっても継承することができるが、皇統というものは「氏」の原理、すなわちあくまでも「父系的な血縁原理によって」のみ継承される」 明治天皇が「帝国陸海軍の大元帥」となり、「本来「公家社会」の頂点にあった天皇が、「武家社会」の頂点にあった「征夷大将軍」の職務を継承したということ、それは真の意味での「天皇」の歴史、ひいては「日本」の歴史にとって、きわめて大きな悲劇であった」 源氏に興味を持つ人だけでなく、皇室や女子天皇論議に興味を持つ人たちにとっても必読の書であると思います。
史家としての資質なし
日本の支配者=日本国王であり、源氏氏の長者であるということを述べようとしたものである。しかし用いられた論法は滅茶苦茶で話にならない。本書ではこの命題は証明されていない。 日本の主権者(これもおかしい)=「日本国王」だというが「日本国王」なる地位は日本には存在しないのである。このために全ての論は無意味である。 「日本国王」とは大陸の皇帝が日本の支配者を臣として認めた場合の称号である。何故に豊臣秀吉は「日本国王」に冊立されて激怒し、徳川将軍は「日本国源某」と国書に記したのだろうか。 大陸の皇帝は原則として対等の外交を認めない。日本人にはこれが我慢ならなかったから正式な外交関係を結ばなかった。遣唐使にも国書を持って行っていない。 日本人にとって「日本国王」という称号は国を辱めるものであって存在してはならないものであった。だから足利氏が「日本国王」と称して明と貿易を行ったのが非難されたのである(これは全くの便宜であって大内氏も「日本国王」と名乗ったことがある。大内氏は「日本の主権者」なのか)。昔から日本の正統の支配者は天皇である(名目上の支配者と実質上の支配者は全く違う)。徳川将軍が「日本国源某」と名乗ったのは誤魔化しの産物である。つまり「日本国王」なる地位は国内的に正統性を持たないからこれについて論ずることは全くの無意味である。 「日本国王」なるものが日本の主権者の資格であるならば明治時代に既にいわれているはずである。幕藩時代を生きた人がそう思わなかったとすればそうではなかったのである。 なお、姓は養子に入っても変わらない、熱田大宮司家は養子をとって姓が変わったと書いてあるがこれは間違いだろう。これは姓が変わったのではなく職(しき)を別の氏に譲ったものである。事典にちゃんと書いてある。江戸時代に近衛家に皇室から養子が入っている(近衛信尋)が、近衛家の姓は何になったのだろうか。上杉氏は養子を何度か他姓の家からとったが姓は藤原のままである。上杉謙信然り、上杉鷹山然り。長尾も秋月も藤原ではない。上杉家を継いだ後の「藤原治憲」(上杉鷹山のこと)という名乗りが資料で確認できる。筆者は見たこともないだろうが。こんなことが書いてある本は他に有るだろうか? 本書で参考になるとすれば源氏氏の長者が公家を束ねる存在になり得るという点くらいだが、こんな事は昔の本に書いてあるので特に新しいことはない
講談社
藤原氏千年 (講談社現代新書) 貨幣とは何だろうか (ちくま新書) 身体から革命を起こす (新潮文庫) 家康はなぜ江戸を選んだか (江戸東京ライブラリー) 王朝貴族物語―古代エリートの日常生活 (講談社現代新書)
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